1964年「マイ フェア レディ」(My fair lady)に出演。この作品はアカデミー作品賞など8部門を受賞します。主演男優賞にレックスハリソン。しかし、オードリーはノミネートすらされませんでした。ご存知の通りこの作品はブロードウェイミュージカルの映画化です。舞台では、ジュリーアンドリュースがイライザを演じて大好評を得ていました。映画でも当然、ジュリーがイライザを演じるものと思われていました。しかし彼女は映画界ではまだ全く無名な存在でした。そんな経緯もあり、イライザ役はオードリーの物となったのです。 |
マイフェアレディ | |
オードリーヘップバーン レックスハリソン |
1966年「おしゃれ泥棒」(How to steal a million)に出演。監督ウィリアムワイラー、衣装ジバンシー、共演にピーターオトゥール。この映画の撮影はパリで行われました。そして、メルとの破局はもう目の前までやってきていました。しかし彼女は息子、ショーンの為、結婚生活を守ろうと考えていたのです。両親の離婚で寂しさを味わっていたからでしょう。週末にはスイスの家に戻り、ショーンと共に時を過ごしました。 撮影の方は順調に進みました。ピーターオトゥールとの掛け合いも絶妙な物でした。特に美術館の狭い、清掃道具入れの中に身を隠した二人。ここからがこの映画のクライマックスです。ヒヤヒヤ、ドキドキ、そしてロマンスあり、オードリーの魅力が一挙に爆発します。見ていて、とても楽しい映画でした。 |
おしゃれ泥棒 | ||
オードリー ヘップバーン ピーターオトゥール |
1967年「いつも二人で」(Two for the road)に出演。監督スタンリードーネン、共演アルバートフィニー。これは彼女の結婚生活を暗示するような作品でした。幸福の後の試練、結婚の困難を描いています。オードリーにはまたロマンスの噂が流れました。お相手はアルバートフィニー。彼はメルとは正反対のユーモアにあふれた男性でした。彼女はもうメルとの絆を取り戻そうとはしませんでした。二人の接点は、もはや息子のショーンだけでした。アルバートフィニーとのロマンスは撮影の間の一時でしたが、彼女の演技をひときわ輝かせました。 |
いつも二人で |
同年、「暗くなるまで待って」(Wait until dark)に出演。監督 テレンスヤング、制作メルファーラー、共演エフレムジンバリストjr、アランアーキン。この作品での彼女の役は盲目の若妻でした。この映画が劇場で上映された時、最後のクライマックスシーンは場内の明かりをすべて消すという、粋な演出をしてくれました。この事は最後の戦いのシーンの緊迫感を大いに盛り上げてくれました。暗闇だけが彼女の武器だったのです。彼女の演技は本当に見事でした。当然のことながらアカデミー主演女優賞にノミネートされました。 |
暗くなるまで待って |
夫婦の間に決定的な事件が起きました。オードリーはメルがプロデュースする映画、「うたかたの恋」に出演するつもりでいました。しかし、メルはヒロインにカトリーヌドヌーブを指名したのです。(当時の彼の浮気相手でした)離婚が決定的なった彼女は1968年の夏、イタリアの精神科医、アンドレアマリオドッティと出会います。当時彼はオードリーよりも10歳近くも若い30歳でした。1968年11月、メルと正式に離婚。翌1969年1月、スイスのモルジュという街で結婚式をあげました。1970年2月、次男ルカ誕生。彼女は子守りの為、映画界から引退する事を決心します。しかし、この幸せも長くは続きませんでした。原因は夫の女性関係でした。彼女は夫の女性関係に心を痛めながらも、子供たちの事を考え、家族の為に尽くしました。ルカの手が離れようになった1976年、ショーンコネリーとの共演で「ロビンとマリアン」に出演、その後、「華麗なる相続人」「ニューヨークの恋人たち」に出演していきますが、もう昔の神通力は失っていました。1981年、ドッティとの離婚は成立していなかったのですが、ロバートウォルターズとスイスのオードリーの家で暮らしはじめました。結婚という形はとらなかったのですが、二人ともオランダ人であり、暖かい絆が生まれました。二人は50キロと離れていない街で育ったのでした。 |
video思い出のオードリーヘップバーン |