2014年5月12日〜5月14日 |
オードリー・ヘップバーンに会いたい。そして、スイスに行くなら、近くにあるチャールズ ・チャップリンの墓にも行ってみたい。そんなことを思いながら飛行機の予約を探しました。オードリーの墓はローザンヌの近くのトロシュナ村というところにあります。チャーリーの墓はモントルーの近くのヴヴェイという所にあります。拠点になる空港はジュネーブかなと思い、日本からの直行便はないのでどうしても乗り継ぎになります。乗り継ぎ候補地は、ウィーン、フランクフルト、ミュンヘン、チューリッヒ、パリ。ネット検索するとウィーン経由が一番安い。よっしゃ、ウィーン経由で決定。ローザンヌからウーィンに行くには、途中、大好きなザルツブルクを通ります。そして、チェコのチェスキー・クルムロフも行ってみたいと思っていました、リンツからは近いようです。そして、ヴァッハウ渓谷のかわいい街、デュルンシュテイン、そして、ウィーンへという計画を立てました。 |
5月12日 | 成田〜ウィーン〜ジュネーブ〜モルジュ |
5月13日 | モルジュ〜トロシュナ〜ヴヴェイ〜モルジュ |
5月14日 | モルジュ |
5月12日 |
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5/13 |
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そして、次はお墓参りに行きます。犬の散歩していたおじさんに場所を聞くと近くまで行くので案内してくれるとのこと。 オードリーの胸像まで戻ってくると、近くにいたおじさんに、墓まで案内するよう頼んでくれました。おじさんは日本に行ったことがあると言っていました。 高尾山に行ったことがあると楽しそうに話してくれました。お墓の入り口には扉があります。それを開けて中に入っていき、進んでいくと右側にオードリーのお墓がありました。 オードリーのお墓は本当にシンプルでした。一般の人の墓と変わらない、知らないと見逃してしまいそうなお墓です。ああ、ここにオードリーが眠っているんだ、そう思うとなにか、 時間が止まったような瞬間でした。お墓の外は、やはり畑が一面に広がっています。だれ一人いないお墓は静寂そのもの。お墓参りを済ませ、今来た道を戻り、教会に立ち寄りました。 ここはオードリーの葬儀が行われた教会です。当時、ジバンシーやアラン・ドロン、といった人たちも弔問に訪れていたそうです。トロシュナ村は本当に小さな、何もない村でした。商店さえ、無いようです。オードリーはよく、自転車でモルジュに買い物に行ったそうです。墓地の近くにはパビリオン・オードリーヘップバーンという展示館がありました。オードリーのママ友達が遺族から遺品を借り受け、運営していたのですが、 遺族との遺品のレンタル期間3年が過ぎてしまい、今は閉鎖されています。ファンにとってはとても残念なことです。バスでモルジュの駅に戻ります。途中、オードリーの墓地の前をバスは通りました。 乗ったバス停の名前は「Pl Audrey Hepburn」彼女が亡くなってからもう,20年近く経つのですが、今でも、オードリーの面影が残っていると思うと、 胸がいっぱいになりました。 |
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トロシュナへの行きかた モルジュの駅を降りたら右のほうへ歩いて行くとバス通りがあります。鉄道のガードのすぐ手前がトロシュナへ行きのバス乗り場になります。バスは702番のバス。 > お墓はLa PlantazとLe Portailの間にあります。 住んでいた家(La Paosible)はPl Audrey Hepburn下車。オードリーの胸像があります。ここから歩いて約5分の所にあります。 約10分くらい。料金は3スイスフラン。なお、お墓はフランス語で「Cimetiere」 |