2月12日
バスで、Guinness Storehouseへ向かいました。2階建てバスから見えるダブリンの町並みは、日曜日のせいかあまり人が出ていません。ゆったりとした道路をバスは走っていきます。バスを降りると、Guinnessと書かれた門が目に入ります。創業者のArthur Guinnessは1759年使われなくなっていたセント・ジェームズ・ゲート醸造所を借り受け醸造を始めます。10年後の1769年ギネスは初めて製品を輸出、世界150カ国飲まれるようになりました。今回訪れる、Guinness Storehouseは1904年から1988年まで使用されたものから7階建てのビルと建て替えられました。角を曲がって歩いて行くとどこからともなくホップ?の香りが漂ってきます。入場券を購入して1階まで上がっていくと、原料を入れた大きな展示が現れます。ここからGuinness beerが生まれるのです。奥には試飲室があり、出来上がったばかりのGuinness beerを試飲できるようになっています。私はアルコールがだめなのですが、ちょっと試飲してみることにしました。なめらかな泡と苦味の利いた味は飲めない私でもちょっぴり楽しむことができました。2階に上がるとそこはGuinnessの広告の歴史が展示されています。3階はチョイスゾーン、醸造所ライフ、4階はギネス250周年展示室、5階は過去250年間で最も象徴的な広告が紹介されています。そして、7階は見学のクライマックス、360度ダブリンの町が見渡せます。そして、入場券についている試飲券でGuinness beerを飲むことができます。ビールをグラスに注ぐと、きめ細やかな泡が徐々に白い幕を作っていきます。残念ながら私はコーラでGuinnessを味わった気分になりました。
Guinness
Guinness Store 入口前にいた馬車
原料の展示
Guinness beer
7階からの眺め
次に向かうのはKilmainham Gaol キルメイナム刑務所。到着して案内を見ると、ガイドツアーまで1時間半ほど時間があります。Kilmainham Gaolの前にモダンアートの博物館があったのでそちらに行ってみることにしました。地下にレストランがあります。ここでお昼を取ることにしました。しばらく休憩して戻ると、かなり混んでいる。掲示板を見ると今日のツアーの予定は全部fullとなっています。事前にチケットを買っておいたので無事、入場することができました。この刑務所は主に1780年代から1920年代にかけて使用されました。説明は英語のため、ほとんど聞き取る事はできませんでしたが、所々聞き取れます。受刑者が最後の日を過ごす部屋や、処刑は絞首刑などなどはなんとなく理解ができました。
モダンアートの博物館の入口
キルメイナム刑務所
キルメイナム刑務所
私のトラムに乗りたいというリクエストでトラムに乗り、Connollyの駅へ。ここから電車に乗って海を見に行くことにしました。しばらくしてやってきた電車に乗り込み約30分、Howth駅で下車。駅前ではマーケットが開かれていました。でも、時間が遅かったので閉店の準備中。あきらめて岬のほうへ歩いていきます。途中、シーフードのお店を発見、しばらく見学してみました。そして湾の中に人だかりが・・・何だろうと思って近づくと・・・アザラシ、2頭のアザラシがえさをねだるように顔を出しています。かわいい!やはり海は開放的でゆったりした気分になれます。
トラムの券売機
トラムの中
Connollyの駅
Howthの入江
湾にいたアザラシ
シーフードショップ
夕飯はアイリッシュシチューを食べにダブリン市内に戻り、テンプルバーへ。ここは多くのパブやレストランがあります。昼間に訪れた時は子供達のデモ行進やstreet musicianの演奏、パブから漏れ聞こえてくる音楽。ダブリンでのいちばんの繁華街で。夜になるとやはりパブとしての役割を多く持ち、たくさんの人たちが食事に、そして飲みにやってきます。念願のアイリッシュシチューをいただく。ビーフ、チキン、ポークの3種類の味を楽しむことができました。洋風の肉じゃが?
テンプルバー
アイリッシュシチュー
2月13日
再びロンドンへ
いよいよ今日でダブリンともお別れです。朝、友達がホテルまで迎えに来てくれました。出勤前に空港まで送ってくれるそうです。朝早くから、本当に有難いことです。今日は空港直行のバスで空港へ。ダブリンで過ごした4日間は本当に楽しい日々でした。今日はロンドンに行き、一泊。その後成田に帰る予定です。無事、空港に到着、Aer Lingusのチェックインをすませると、なぜか明日の成田行きのチケットも発行されていました。チェックインカンターの人が何か言っていたのですが、ほとんどわからなかったので,「yes」と笑顔で答えたのが、これが間違えのもとでした。このあと、トラブルが・・・