禅林寺


禅林寺講堂
太宰治が昭和23年6月13日に山崎富栄とともに玉川上水に入水自殺、その遺体が発見された6月19日を「桜桃忌」として故人を偲ぶ会が催された。第1回目は昭和24年6月19日。そして今回は太宰治没後50周忌という一区切りの会ということもあり、テレビ、新聞で報道され、例年の倍以上の出席者があった。何年か前に、桜桃忌の世話人会が解散してしまい、禅林寺の住職の努力で細々と続けられてきたのであるが、今回は久しぶりの盛況であった。

朝、起きると空は今にも泣き出しそうな雲行きであった。家を出て、三鷹の駅に着くと、ポツポツ降っていた雨は本降りになっていた。商店街をまっすぐ15分位歩いて行くと、バス通りにぶつかる。そこを右折、100M位行くと、右側に禅林寺の入り口がある。右に曲がり、少し行くと山門がある。それをくぐると、左側に講堂が・・・。桜桃忌の講演はこの講堂で行われる。12時10分。椅子は約120席、ほぼ8割りはもう、埋まっていた。
講演会がおこなわれる講堂

荷物を置いて、早速お墓へ。もう20人位の人達が集まっていた。墓石には桜桃にちなんで、サクランボが「太宰治」と彫られた字の中に埋めこまれていた。雨に濡れながら黙祷をささげる。多くの人が感慨にふけっていた。
太宰の墓。多くの献花がされていた。
「昭和24年 津島 美智子建立」の銘文が彫ってある。

太宰の墓の向かい側には森 林太郎(鴎外)の墓もある。生前、太宰の希望により鴎外の墓の向かい側に骨をうずめて欲しいという希望によりここに墓が建てられた。
森 林太郎(鴎外)の墓