都電荒川線の旅 2



 本妙寺を後にして、次に向かったのが慈眼寺でした。細い道をクネクネと歩いていくと5分くらいで慈眼寺の前に出ることができました。このお寺には文豪、谷崎潤一郎、芥川龍之介・也寸志・比呂志、司馬江漢などの墓があるそうです。芥川龍之介は私の大好きな作家の一人です。特に「河童」は高校生のころとても興味深く読んだ思い出があります。中学の国語の教科書にも「トロッコ」や「蜜柑」が載っていたような記憶があります。こんな都内のお寺にお墓があったんですね。残念ながら谷崎潤一郎の墓はわかりませんでした。「谷崎家」という立派な墓はあったのですが、これがそうだったのかな?


芥川龍之介の墓 司馬江漢の墓



慈眼寺を出ると目の前には大きな墓地が見えます。都営染井霊園です。この霊園は、江戸時代、建部家と藤堂家の下屋敷だったが、明治初年、わが国初の公営の公共墓地として誕生したそうです。この霊園にも著名人の墓がたくさんあります。私のお目当ては高村光雲・光太郎・智惠子の墓です。中学時代、「智惠子抄」を読んでとても感動した覚えがあります。「レモン哀歌」、「あどけない話」、「樹下の二人」・・・本当に素敵な詩がいっぱいです。高校受験の時、心を落ち着かせるためにこの詩集を持って行ったのですが、試験問題に「あどけない話」が出題されていました。このときは思わず、ニッコリ。これのおかげで合格できたのかもしれません。


あどけない話(智惠子抄より)


高村家の墓


染井霊園を後に六義園(りくぎえん)を目指します。山手線の陸橋を渡るとすぐに見えてきます。ここは紅葉の名所。でも、入り口まで来てみると、すごい人の列。入場券売り場は長蛇の列です。きっと中もいっぱいだろうなと思い、今回は六義園はあきらめることにしました。近くの駒込駅より山手線に乗り、大塚の駅を目指します。ここから再び都電へ。早稲田方面の電車で鬼子母神をを目指します。


鬼子母神の仁王像


インド出身の鬼子母神は、初めハーリティ(訶梨帝母)といい、他人の子供を奪って食べてしまう鬼神でしたが、お釈迦さまが彼女が一番可愛がっている末子を隠して、子を失う母の悲しみを諭しました。これより、鬼子母神(訶梨帝母)は仏教に帰依して、子供の守り神となる。ーーー「雑宝蔵経」より
 鬼子母神の駅前はちょうど地下鉄の工事中でした。雑司が谷の駅ができるそうです。鬼子母神にはここから参道を歩いて約5分。うっそうとした木々に囲まれた中にありました。七五三のお参りの親子ずれも来ていました


そしてここにはテレビでも有名になった猫ばあさんの駄菓子屋、川口屋があります。このお店は元禄年間から続いているということです。懐かしい駄菓子がいっぱい。のどが渇いたのでウーロン茶をひとつ買いました。境内には樹齢600年といわれている銀杏木があります。これは天然記念物に指定され、天に向けて枝を開いています。東京のど真ん中にこんな空間があるなんて・・・。


今回の都電の旅はここが最後。鬼子母神の駅に戻り、都電で王子駅へ。ここからはJRで自宅へ帰ります。秋の陽射しをあびながら新しい発見を沢山しました。都電沿線にはまだまだ知らない場所が沢山あります。次回の都電の旅はどんなものになるのか楽しみです。