修正鬼会の起源について
土地の人たちは「オニヨ」と呼んでいます。起源は、768年に国家安泰、五穀豊穣、無病息災を祈ってはじめて行われたとあります。この行事は国東半島の各寺で行われていた記録があります。しかし盛んであったのは江戸末期までのことで明治、大正、昭和と時代が移るにつれて次第に消滅し、今は天念寺、あとは成仏寺と岩戸寺で隔年づつ行われるだけになってしまいました。しかし鬼会行事は中止していても勤行は各寺院とも所定日に続行され、六郷山必修の法会として今日に及んでいます。天念寺では毎年旧正月7日に催されます。


2月20日
食事を終え、19時頃、国見ユースホステルのペアレントさんの運転する車で天念寺に向かいます。天念寺到着。さすが毎回鬼会に来ているペアレントさん。車は誰もいない側道へ。クライマックスは20時頃から。3本の大松明に火がつけられ、講堂に運ばれてきます。そして講堂では僧侶による読経がはじまります。読経の後、僧侶による
香水(こうずい)の舞(動画)がはじまります。香水の舞は仁聞菩薩が滝に打たれ、修行する様子を現しています。そして鈴鬼の行事へ。そしていよいよ鬼の登場となります。体を縄で縛られた鬼役の僧侶が2人、タイレシという介錯役に背負われて講堂に入ってきます。まだ、鬼の面をつけていない鬼役は地面に足を付けてはいけないとされているためです。講堂で黒鬼と赤鬼の面をつけ、口に含んだ水を僧侶が鬼の面に吹きかけたら「鬼招き」が始まります。そして鬼が現れ、小松明を持って、講堂狭しと暴れ始めます。鬼は仏の化身です。タイレシ達も小松明を持って「ホーレンショウヨ、ソラ鬼庭」と唱えながら講堂の梁をたたいていきます。もうもうと飛び散る火花。鬼会のクライマックスといっていいでしょう。その後見物客や地元の人たちが講堂の中に集まり、無病息災を願って鬼に小松明で背中をたたいてもらいます。私もたたいてもらいましたが、痛かったぁ!やがて鬼の目と言われる餅が2つまかれ、餅の取り合いがはじまります。餅を拾った者は「鬼さんここよ」と見せびらかしながら逃げ廻ります。鬼とタイレシは餅を持った者を追いかけ松明で腰をたたきます。たたかれた者は無病息災です。拾った餅は小分けにされ、参列者にくばられます。私も一切れ、もらってきました。餅がばらばらになったら介錯が鬼を後ろから羽交い絞めにして止めます。その後、「加持の儀式」が行われます。、「鬼静め」の読経の中、鬼は本介錯に背負われて講堂から退場します。そして最後に僧侶たちが小餅をまきます。参列者たちは争ってこの餅をひろいます。この餅を食べれば1年間、無病息災と言われています。私も10個くらい拾うことができました。
天念寺の鬼会はこのように講堂で行われますが、成仏寺、岩戸寺の鬼会(旧正月の5日に行われます)は講堂での行事の後、鬼様は講堂を飛び出し、里の家々を一軒づつ廻ります。家々で鬼様は読経し、おもてなしを受けます。出されたお酒は必ず飲み干さないといけないと言われています。僧侶が鬼になるのですが、鬼の面をかぶると不思議な力が舞い降りると言われています。家々を廻った鬼様が寺に戻ってくるのは次の日の朝になることもしばしば。寺に戻ってきた鬼は暴れまわります。タイレシ達が鬼を捕まえ、鬼の口に餅がくわえられると鬼はおとなしくなり、仏から人に戻り、鬼会は終わります。